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2012年08月17日『内外旬報』という雑誌−旬刊から週刊へ− [性社会史研究(性風俗雑誌)]

2012年08月17日  『内外旬報』という雑誌−旬刊から週刊へ−

例によって吉祥寺駅前の古書店で『内外旬報』という雑誌を購入。
内外旬報19550220.JPG
↑ 『内外旬報』昭和30年(1955)2月20日号(東京内外新聞社)。

この号、内容は「青春の問題特集」と銘打っている。

私は「娼婦の手帖」と題する「赤線」娼婦と学生客の退廃的なやり取りを記した実録風小説と、「浅草女剣劇総まくり」という特集記事を目当てに買ったのだが、性風俗から芸能界ネタ、実録ものから小説まで、なんでも有りと言えば聞こえは良いが、焦点が定まっていない雑誌である。

刊行は「東京内外新聞社」(東京都千代田区神田駿河台3−3)。
B5版62頁、定価30円。
奥付がないので、巻次は不明だが、表紙に「昭和二十九年五月十三日国鉄特別扱承認雑誌第二八一〇号」とあるので、昭和29年(1954)の創刊だろう。

戦後の混乱期(1945〜50年)に多数刊行されたいわゆる「カストリ雑誌」の一時代後、「ポスト・カストリ雑誌時代」(1951〜59年)に刊行された性風俗雑誌の1つ。

この時期の性風俗雑誌は、まとまった形で所蔵している施設(図書館、研究所)がなく、基礎的なデータも不明で、いちばんよくわかっていない。

『内外旬報』も、ネットで調べたが、ほとんど出てこない。
内外旬報19540530.jpg
↑ 『内外旬報』昭和29年(1954)5月30日号
これは創刊間もない頃のものか。
http://www.romando.net/php/detail.php?title_no=25694

他に、昭30年(1955)6月30日号が存在するので、少なくとも1年1ヵ月は続いたようだ。

『旬報』という誌名どおり、10・20・30日の月3回刊行(旬刊)と推定されるので、40号前後は存在することになる。

国会図書館で検索すると、同じ「東京内外新聞社」から昭和31年(1956)5月以前の創刊で『旬刊タイムス』という旬刊誌が出ている。
未確認だが『内外旬報』は『旬刊タイムス』に引き継がれたのかもしれない。
なお、『旬刊タイムス』は、昭和32年(1957)まで刊行されている。

ところで、(日の末尾に)「0」が付く日とか、「5」が付く日とか、つまり10日おきという隔週刊と週刊の中間の刊行ペースである旬刊(月3回)という形態は、今ではすっかり廃れてしまった。

この形態の雑誌として最も著名なのは、大正8年(1919)7月創刊の『キネマ旬報』(キネマ旬報社)だろう。
その名の通り、昭和15年(1940)12月に戦時統制を理由に終刊するまで月に3回「1」の付く日に刊行されていた。
しかし、戦後の昭和25年(1950)年10月に復刊した時には、毎月2回(5日・20日)刊行になり旬刊ではなくなってしまった。

今では、税・金融関連の業界紙や法律雑誌に「旬刊」はわずかに残っているに過ぎない。

そもそも社会慣行・生活習慣の中で「日の末尾」がほとんど意識されなくなってしまった。
気にするのは「今日はなに曜日?」という感じで、いつの間にか曜日一色。

言うまでもなく、キリスト教の創世神話に基づく「七曜日」という概念は、明治時代初期以前の日本文化にはなかった。

神が月曜日に光を生み出し昼と夜とを分け、火曜日に水を上と下とに分け天を造り、水曜日に大地と海とを分け植物を創り、木曜日には日と月と星を創り、金曜日に水に住む生き物(魚)と鳥を創り、土曜日に家畜を含む陸生の動物とすべての獣を治める人間(男と女)を創って、日曜日は疲れ果てて休息した、なんていう話とは無縁な国なのだ。

「七曜日」の概念が日本に入ってくるのは、明治5年(1872)12月のの新暦(太陽暦=グレゴリオ暦)導入以降。
「七曜日」以前の日本は、すべて「日(の末尾)決め」である。

例えば「二」の付く日に市が立つ(福岡県筑紫野市二日市)、「四」の付く日に市が立つ(三重県四日市市)、「五」の付く日に市が立つ(東京都あきる野市=旧五日市町)、「六」の付く日に市が立つ(新潟県南魚沼市六日町)、「八」の付く日に市が立つ(千葉県八日市場市))、「十」の付く日に市が立つ(広島県広島市中区十日市町)etc。

あるいは、官庁の休日は、明治時代に土曜日午後と日曜日が休みとされる以前は「一・六日(いちろくび)」、つまり、毎月1日(朔)・6日・11日・16日・21日・26日だった。

そう言えば、最近あまり聞かなくなったが、十年ほど前までは、タクシーに乗って、やけに道が混んでいると、運転手さんが「今日は五・十日(ごとおび)ですから・・・」と言い訳することがあった。

「五・十日(ごとおび、関西ではごとび)とは、毎月5日・10日・15日・20日・25日と、30日または月末日のことで、日本の伝統的な商習慣では「五・十日」に決済を行うことが多かった(五・十払い)。
なので「五・十日」には、金融機関の窓口が混みあったり、営業車の行き来が多くなって道路が混んだりしたのだが、今でもそうなのだろうか?

話がずれてしまったが、明治5年に「七曜日」が導入されても、なかなか「七曜日」は浸透せず、社会慣行・生活習慣的には相変わらず「日(の末尾)決め」だった。

「日(の末尾)決め」の刊行形態が旬刊であり、「曜日決め」のそれが週刊である。

旬刊誌の衰退と、それに代わる週刊誌の全盛は、日本人の社会慣行・生活習慣の中に「七曜日」が定着したことを示している。

週刊誌の実質的な初め(*)とされる 『サンデー毎日』(毎日新聞社)の創刊は、大正11年(1922)3月だった。

同じ年の2月に朝日新聞社は『旬刊朝日』(5・15・25日発売)を創刊していた。
朝日は、毎日新聞社が週刊誌を刊行したのを見て、あわてて4月に『旬刊朝日』を『週刊朝日』に衣替えする。

あくまでも大都市圏での話だが、大正末期が「旬刊」から「週刊」へ、「日(の末尾)決め」から「曜日決め」の転換点だったのではないだろうか。

戦後の混乱期、物資の絶対的な不足、紙の統制で印刷用紙の入手が困難で、出版社が雑誌の定期刊行に苦労した。
その時代、週刊より月1回少ない旬刊は、紙やインクの節約という点で、メリットがある刊行形態で、少し息を吹き返した感がある。

しかし、それもつかの間で、紙の統制が解除され、今までの新聞社系の週刊誌に加えて、昭和31年(1956)2月創刊の『週刊新潮』(新潮社)をはじめとして雑誌社系の週刊誌が次々に刊行され、世の中が「週刊誌ブーム」になると、旬刊誌の生き残る余地はもうほとんどなくなってしまった。

『内外旬報』の後継誌と思われる『旬刊タイムス』が姿を消すのは昭和32年(1957)だった。

* 厳密には日本最初の週刊誌は、明治10年(1877)から40年(1907)まで刊行された戯画入り時局風刺雑誌『團團珍聞(まるまるちんぶん)』(毎週土曜発売)である。

【追記(9月24日)】
『内外旬報』(東京内外新聞社)2冊追加購入。
昭和30年(1955)3月20日号と6月20日号。
内外旬報19550320.JPG内外旬報19550620.JPG
3月20日号の特集「アメリカで流行の異性の友達とは何か?」は、冒頭の見出しが「新しい米語デイトとはなにか」。
男女交際の歴史の資料として使えそう。
昭和30年(1955)年の時点で、「デイト」という言葉が(実態も)一般には普及していなかったことがわかる。
記事では「あちらではデイトのさようならはキッスがあたり前」と紹介したり、「ステディ(steady)」や「ダブルデイト」という言葉(概念)も解説している。
戦後すぐに、一気に(全国的に&全階層的に)恋愛が自由化したように思うのは大きな誤りで、男女交際の自由化は、デイト概念の移入にともない昭和30年代になってようやく始まると考えるべきだろう。

2011年09月28日『夜みる新聞』』昭和30年(1955)5月15日号 [性社会史研究(性風俗雑誌)]

2011年09月28日 『夜みる新聞』』昭和30年(1955)5月15日号

吉祥寺駅前の古書店で『夜みる新聞』という雑誌を購入。
夜よむ新聞19550515.JPG
↑ 『夜みる新聞』昭和30年(1955)5月15日号(報道通信社、定価30円)

B5版62頁薄手の雑誌。
どこにも巻号が記されていないが、刊行日が日まで記載されているので、おそらく隔週刊(月2回)か旬刊(月3回)だろう。

この号を購入した理由は「特別調査 売春街・秘密情報」という特集だったので。

新宿、渋谷、錦糸町、鴬谷、大井町、新橋、南千住、浅草千束町など、主に「青線」の情報が載っている。
黙認買売春地区である「赤線」に比べて、非合法買売春地区の「青線」はさらに情報が少ないので、素性の怪しい(書誌がわからない)雑誌だが資料として使えそう。

(追記)
後日、ネットを検索したら、昭30年(1955)4月20日号(報道通信社 B5版62頁)が見つかった。
夜みる新聞19550420.jpg

2012年05月25日 『眞相實話』について [性社会史研究(性風俗雑誌)]

2012年05月25日 『眞相實話』について

『眞相實話』は昭和24年(1949)5月創刊で、出版社は東京千代田区富士見町の「眞相實話社」。

B5版薄手が主流だった「カストリ雑誌」に対して、半分のハンディなB6版で、頁数は150~160頁とかなり厚みがある。
定価は別冊共で60円。

表紙に「特ダネ実話雑誌」と銘打っているように、取材力を売りに、それまで盛行していた「猟奇雑誌」「曝露雑誌」とは一線を画そうとしていた。
表紙も他誌に比べると地味だが、でも、やっぱり内容はエロ・グロ中心。

1950年代に主流になる「実話系雑誌」の先駆の雑誌だが、いつまで刊行されたか不明。
ネット上では、昭和26年(1951)1月号(3巻1号)が確認できる(後日入手)。

手元には、創刊号を含めて3冊ある。
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↑ 『眞相實話』昭和24年(1949)5月創刊号(1巻1号)
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↑ 『眞相實話』昭和24年(1949)6月号(1巻2号)
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↑ 『眞相實話』昭和24年(1949)9月号(1巻5号)

残念ながらいずれも付録は失われている。

同性愛、女装・男装関係の記事としては、次のようなものがある。

(1)平野斗史「軍服の男娼たち」(1巻1号 1949年5月)
(2)大和田清志「男娼を裸にする」(1巻2号 1949年6月)
(3)恩田一郎「国鉄の闘士として更生した半男半女の数奇な秘話」(1巻5号 1949年9月)

(1)は、軍人出身のノガミ(上野)女装男娼に取材した記事で、当時かなりの衝撃を与えた。
日本陸軍(支那派遣軍)における同性愛行為の現実を知る上で貴重な文献。

(2)は、女装男娼の生態レポート。同種の記事の中では信頼度が高い。
ちなみに、当時のノガミの女装男娼のお値段(ショート)は200円。

(3)は、半陰陽の男性として生まれ(戸籍は女性)女性として育ち、成人後、男装して「男装の美人サギ師」として知られ、女性として服役して同房の女性と恋愛騒動を起こし、出獄後、男性として国鉄職員になった(ああ、ややこしい)中村稲子=稲男に取材した記事。

前にも書いたが、日本が連合国に占領されていた期間のうち1945年9月から1949年にかけて国内で刊行された出版物は、GHQ戦史局長だったゴードン・ウィリアム・プランゲ(Gordon William Prange 1910~1980)が検閲のため連合国軍総司令部に提出された出版物を一括してアメリカに送っている。

それがメリーランド大学図書館に「プランゲ文庫」として収蔵されていて、そのマイクロ・フィッシュ化された複製が国立国会図書館や国際日本文化研究センター(京都)に入っていてるので、ほとんどの雑誌を閲覧することができる。

いちばん閲覧が難しいのが、プランゲ・コレクション以後の1950年代に出版された雑誌で、とくに1950年代前半は一括して閲覧できる場所はなく、1冊ずつ集めて行くしかない。

【追記(6月1日)】
昭和26年(1951)1月号(3巻1号)を入手した。
真相実話3-1(1951).JPG
↑ 表紙のイメージが激変している。

2012年05月22日 『デカメロン』4巻2号 [性社会史研究(性風俗雑誌)]

2012年05月22日 『デカメロン』4巻2号

明治大学で講義を出終えて、駿河台下の「丸亀製麺」で遅い昼食。
すずらん通りの「きんとと文庫」へ。

今日は雑誌類をチェック。
昭和20年代の風俗雑誌『眞相實話』を2冊と『デカメロン』1冊を購入。
デカメロン4-2(1954).JPG
↑ 『デカメロン』4巻2号 昭和29年2月(全日本出版社)

『デカメロン』は多色の漫画チックな表紙が特徴的な性風俗雑誌。
昭和29年が4巻だから、創刊は昭和26年(1951)と思われる。
B6版のポケット小判だが、かなり分厚い。
4巻2号は346頁で、定価90円。

同性愛・女装関係の記事は2本。

小見山繁「日本男色生態報告 男色愛好者百人による驚異の記録」
海川信三「男娼はこうして女に化ける」

どちらもなかなか興味深い。
いずれ『デカメロン』の書誌もまとめたいが、まだ資料が足りない。

『眞相實話』については別にまとめた。
http://zoku-tasogare-sei.blog.so-net.ne.jp/2012-09-20-5

【追記 2012年11月29日】
『デカメロン』の巻次に混乱があることが判明。
創刊は昭和26年(1951)ではなく、昭和22年(1947)の可能性が大。
詳しくは下記へ。
(参照)2012年11月29日 性風俗雑誌『デカメロン』の書誌の謎
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2012-11-29-9

2012年05月14日『夜の東京』昭和2年11月号 [性社会史研究(性風俗雑誌)]

2012年05月14日 『夜の東京』昭和2年11月号

少し前に手に入れた『夜の東京』昭和2年(1927)11月号(3巻11号)。
東京の夜1927-11.JPG
B5版36頁(表紙含む)で、定価は20銭。
発行は「東京市四谷区内藤町1番地」の「夜の東京社」。

「第三巻」とあることから、創刊は大正14年(1925)と推定される。

表紙に「泰西名画」の裸婦像をど~んと載せているこの雑誌、誌名の副題に「大東京の裏面観察」、サイドに「素敵 露骨 本能」とあるように、関東大震災(大正12=1923)の被害から再生し、「エロ・グロ」ブームに湧く「帝都大東京」の性風俗紹介がテーマ。

大都市の性風俗をテーマにした雑誌というと、戦後の混乱期に乱発された「カストリ雑誌」を思い浮かべるが、すでに昭和初期に、もっとちゃんとした性風俗をテーマにした雑誌があったのだ。

見方を換えると、日中~太平洋戦争(昭和12~20年=1937~1945)の時期を挟んで、昭和初期(昭和元~11年=1926~1936)と、戦後の昭和20年代(昭和21~29年=1946~54)の性風俗の基調は通底しているということ。

戦後混乱期の性風俗の解放は、すでに昭和初期の「エロ・グロ」期に準備されていたのだと思う。

『夜の東京』昭和2年11月号(3巻11号)の内容は以下の通り。

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羽太鋭治「絶世の美人にまつはる疑問」
MK生「彼女を殺したが―法医学実話―」
月形良之介「亀ちゃんと玉ちゃんの比較論―大東京の裏面に蠢く人肉の市―」
「オートバイで走る断髪の怪婦人」
「或るビルヂングの休み時間」
一色好男「売色電車―諸君はこんなめにあつた事がありますか―」
天野光好「男を征服?男に征服?」
英 葉子「つる? つられる?」
連理 梅「恋愛情景」
門田涙花「浮気女優征伐の巻 出雲美樹子の発展癖」
藤野星子「トンチキへの公開状」
山田忠正「娯楽需要者と浅草」
野上賛次「(恋愛小説)共同便所の家(3)」
桜子「恋人と親との間に」
春子「恋知らぬ男」
星子「社長よ何処へ」
葉子「許婚の死から」
K生「(CAFFE夜話)艶福の思ひ出」
大江魔三郎「ダンスホールの一夜」
水上 渉「虫・鳥・小動物の恋愛合戦」
長濱 繁「(通俗神経衰弱講話第1講)精神衰弱の原因と早漏症」

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当時の「性慾学」の第一人者、医学博士羽太鋭治を巻頭に迎え、次に弁護士の「法医学実話」を置き、そして巻末をドクトル・メヂチーネ長濱繁の「通俗神経衰弱講話」で締めるが、中間はルポルタージュや体験実話、女性名(ほんとうに女性かはかなり怪しい)の小話など、かなり軟らかな内容。

文章や漢字、そして外来語の多用からして、読者層は一般庶民ではなく、中産階級以上のインテリ層と思われる。

その証拠に「定価20銭」は、薄手の雑誌の割には安くない。

昭和2年前後の物価は、封書3銭、銭湯5銭、市電7銭、そば8銭、映画30銭、うな重50銭、天丼60銭、小学校教諭初任給50円、国家公務員(高等文官試験合格)初任給75円だから、現在の物価に換算すると、だいたい4000~5000倍くらいだろうか。

すると、20銭は800~1000円くらいの見当になる。

この『夜の東京』、国会図書館にも、大宅壮一文庫にも所蔵されていない。
おそらく、まとめて所蔵している図書館はないのではないだろうか。

したがって、古書価格はかなり高い。

私も所蔵は、大枚はたいて購入したこの1冊だけ。

個人では、某先生の書庫に20冊ほど並んでいるのを見たことがある。
まさに涎物だった。

2012年03月30日 戦後性風俗雑誌『千一夜』の書誌 [性社会史研究(性風俗雑誌)]

2012年03月30日 戦後性風俗雑誌『千一夜』の書誌

あまり良い状態ではないが、戦後の性風俗雑誌『千一夜』昭和28年(1953)6月号(6巻6号)を手に入れたので、『千一夜』の書誌を調べてみた。
千一夜6-6(1953).JPG

『千一夜』
昭和23年6月号(1巻1号)明星社(大阪)
昭和23年7月号(1巻2号)明星社  書名は「オール物語」
昭和23年?月号(1巻3号)明星社  書名は「オール物語」
昭和23年11月号(1巻4号)明星社
昭和24年1月号(2巻1号)明星社
昭和24年4月号(2巻3号)明星社
昭和24年8月号(2巻6号)明星社
昭和24年10月号(2巻8号)明星社
昭和25年2月号(3巻2号)明星社
昭和25年3月号(3巻3号)明星社
昭和25年4月号(3巻4号)明星社
昭和25年9月号(3巻9号)明星社
昭和25年11月号(3巻11号)千一夜出版社
昭和25年12月号(3巻12号)千一夜出版社
昭和26年1月号(4巻1号)千一夜出版社
昭和26年2月号(4巻2号)千一夜出版社
昭和26年4月号(4巻4号)千一夜出版社
昭和26年5月号(4巻5号)千一夜出版社
昭和26年7月号(4巻7号)千一夜出版社
昭和26年8月号(4巻8号)千一夜出版社
昭和26年12月号(4巻12号)千一夜出版社
昭和27年1月号(5巻1号)千一夜出版社
昭和27年2月号(5巻2号)千一夜出版社
昭和27年5月号(5巻5号)桃源社(東京日暮里)
昭和27年8月号(5巻8号)桃源社
昭和27年12月号(5巻12号)桃源社
昭和28年1月号(6巻1号)桃源社
昭和28年3月号(6巻3号)桃源社   所蔵
昭和28年6月号(6巻6号)桃源社   所蔵
昭和28年11月号(6巻11号)桃源社
昭和28年12月号(6巻12号)桃源社
昭和29年1月号(7巻1号)桃源社
昭和29年2月号(7巻2号)桃源社
昭和29年3月号(7巻3号)桃源社


『楽園』
昭和29年8月号(7巻8号・千一夜改題)』桃源社

【今の段階で判ったこと】
・創刊は昭和23年(1948)6月号である(プランゲ文庫に創刊号がある)。

・1巻2号・3号は「オール物語」という書名で刊行、1巻4号から「千一夜」に戻る。
 どういう経緯だったのか不明。

・出版社名は、当初は「明星社」(大阪)で、昭和25年秋に「千一夜出版社」(?)になり、昭和27年春頃に「桃源社」(東京日暮里)になり、三遷している。
 もともと大阪の出版だったのが、東京に遷ったので、それが関係しているのか?

・終刊は昭和29年7月号?、次の8月号から『楽園』に改題。
 ただし、巻号は『千一夜』引き継いだ。

・『楽園』の終刊時期は不明。

千一夜6‐3(1953).JPG
↑ 『千一夜』昭和28年(1953)3月号(6巻3号)

2011年09月28日 戦後性風俗雑誌『りべらる』の書誌 [性社会史研究(性風俗雑誌)]

2011年09月28日 戦後性風俗雑誌『りべらる』の書誌

戦後の混乱期に雨後の竹の子のように乱立した性風俗雑誌には、正確な書誌が明かでないものが結構ある。

創刊の時期は創刊号があれば確認できるが、終刊の時期は「終刊号」と銘打ったものもなくはないが、ほとんどの場合、予告なしに消えてしまう(休刊・廃刊)ので、時期を確定するのはかなり難しい。
早い話、いちばん新しい号の実物を探して、「少なくともこの時までは刊行されていた」とするしかない。

ところが、俗に「カストリ雑誌」と呼ばれるこの手の雑誌、1945~49年の占領軍検閲時代のものは、「プランゲ文庫」(*)のマイクロフィッシュが国会図書館などに収蔵されていて閲覧できるが、それ以降の時期のものは、所蔵している図書館がきわめて少なく、実物に当るにしても苦労する。

昭和20年代の性風俗雑誌の代表格である『りべらる』(昭和21年1月創刊、太虚堂書房)も終刊の時期が明らかでなかった。

以前、ネットで『リベラル』の書誌を調べた時には、「昭和21年から28年まで続いたらしい」という説が載っていた。
(参照)「カオスの本棚」http://homepage2.nifty.com/bookbox/annakonna2.htm

しかし、昭和28年終刊説は、私が3年ほど前に昭和29年(1954)12月号を入手してデータを更新したので、成り立たない。
りべらる9-13(1954).JPG
↑ 『りべらる』昭和29年(1954)12月号(第9巻13号、太虚堂書房、定価100円、A5版148頁)

その後、「SMぺディア」というサイトに「1955年(昭和30年)9月まで発行され、その後『漫画タイム』へと誌名改題され1956年(昭和31年)2月に幕を閉じる」と記されているのを知った。
さらに、太虚堂書店の刊行は1955年(昭和30)4月号までで、1955年(昭和30)5月号以降は白羊書房から刊行されたとのこと。
(参照)「SMぺディア:りべらる 」
http://smpedia.com/index.php?title=%E3%82%8A%E3%81%B9%E3%82%89%E3%82%8B

りべらる10‐5(1955).JPG
先日、『りべらる』昭和30年(1955)4月号(第10巻5号、定価100円、A5版148頁)を入手した。

「SMぺディア」の解説によれば、太虚堂書房刊行の最後の号ということになるのだが、奥付の発行所ははすでに白羊書房になっている。

また、最終頁の「編集室」というコーナーに、
「この度、約十年にわたって皆様に親しまれて来た「太虚堂書房」と云う社名を、本年初頭より「白羊書房」と変更致しました。勿論社の内容にはなんらの変更もありません」
という挨拶文が載っている。

『りべらる』の発行所が「太虚堂書房」から「白羊書房」に変わったのは社名変更だったことがわかった。

ということで、「SMぺディア」の記述をベースにして、少し修正を加えると、『りべらる』の書誌は、下記のようになる。

昭和21年(1946)1月、太虚堂書房から創刊。
昭和30年(1955)4月、4月号(10巻5号)から、社名変更により発行所が白羊書房に変わる。
昭和30年(1955)9月、9月号まで『りべらる』の誌名で刊行。
昭和30年(1955)8~10月、『りべらる』から『漫画タイム』に移行。
昭和31年(1956)2月、2月号で『漫画タイム』が終刊。

【追記(11月26日)】黒田さんからいただいたご教示(コメント欄)によって修正を加えた。
『りべらる』から『漫画タイム』への移行事情はたいへん複雑なようである。

ところで、『りべらる』昭和30年4月号の内容だが、「男娼日記 ヒロポンらぷそで」(石河宏)という記事が載っている。
「小田急線沿線にある、かなり大きな療養所」を舞台に、元男娼の「おアネエさん」が主人公の小説。

残念なことに「おアネエさん」であっても療養所に強制収容されているので、女装シーンすらなく、男娼の生態に関してはほとんど資料にならない。

昭和30年には、時代風俗の関心が、男娼からヒロポン(**)に移っていることを感じる。

* プランゲ文庫
アメリカのメリーランド大学図書館が所蔵する、日本が連合国に占領されていた期間のうち1945年から1949年にかけて国内で刊行された出版物のコレクション。検閲のため連合国軍総司令部に提出された出版物を、戦史局長だったゴードン・ウィリアム・プランゲ(Gordon William Prange 1910~1980)が一括してアメリカに送ったもの。マイクロ・フィッシュ化された複製が、国立国会図書館や国際日本文化研究センター(京都)に入っていて閲覧できる。

** メタンフェタミン(商品名:ヒロポン)
明治26年(1893)薬学者・長井長義によりエフェドリンから合成され、大正8年(1919)緒方章がその結晶化に成功した。アンフェタミンより強い中枢神経興奮作用をもつ覚醒剤である。
ヒロポン(Philopon)は、大日本住友製薬の登録商標でメタンフェタミンの商品名であり、成分名は塩酸メタンフェタミン錠。
日本では、大正末~昭和初期以降、疲労倦怠感を除き眠気を飛ばす「除倦覚醒剤」として軍・民で使用されていた。当時は副作用の危険性が知られていなかったため、一種の強壮剤のような形で広く利用されていた。
しかし、昭和20年(1945)8月の敗戦後に軍の備蓄品が市場へ流出し、精神を昂揚させる手軽な薬品として蔓延、依存症になる者(「ポン中」)が続出し大きな社会問題となった。中毒患者は50万人を超えたと推定されている。このため、昭和26年(1951)に「覚せい剤取締法」が施行された。

コメント
『りべらる』補足と『あまとりあ』昭和26年増刊号(黒田さん)
初めまして。『風俗科学』について検索しておりましたところ、貴ブログへ辿り着きました。
 性科学雑誌の書誌的な研究は大衆雑誌やカストリ雑誌と比べて遅れており、その意味から見ても貴重な研究サイトだと思います。

こちらで扱われている『りべらる』と『あまとりあ』ですが、幾つか補足事項をお知らせしたくコメント致しました。
別掲示板経由でSMpediaへ転載して頂いた上記雑誌2点の記事は私が書いたので現物を所持しており、それらを確認したうえでの通知です。

『あまとりあ』昭和26年増刊号(1巻7号)は『あまとりあ臨時増刊 世界性愛文学選集』鎖夏特別号として昭和26年8月15日付で発行されております。
また、『あまとりあ』創刊号には『あまとりあ新聞』が付録として挟み込まれていました。

『りべらる』は誌名改題の期間が複雑であり、同誌8月号が発行されたあと、『漫画タイム」名義の増刊が発行、『りべらる』9月号が発行されると同時期に『漫画タイム』9月1日号が発行されました。
『漫画タイム』になってからは月2回発行となり、1日号と20日号が出ておりました。
廃刊については、「悪魔の嘲笑」の著者校ゲラが2月20日号掲載分までしか作者に送られていない事、真野律太氏が編集長を務める別雑誌の創刊も考慮してSMpediaへ「2月で廃刊」と記しました。

簡単ながら以上の通り、御報告申し上げます。
(2011年11月23日 00時30分09秒)

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Re:『りべらる』補足と『あまとりあ』昭和26年増刊号(09/28) (三橋順子さん)


黒田さん、いらっしゃいま~せ。

> 性科学雑誌の書誌的な研究は大衆雑誌やカストリ雑誌と比べて遅れており、その意味から見ても貴重な研究サイトだと思います。

ありがとうございます。
書誌研究がメインテーマではないのですが、誰かが整理しておかないとますます解らなくなりそうなので・・・。

> こちらで扱われている『りべらる』と『あまとりあ』ですが、幾つか補足事項をお知らせしたくコメント致しました。

ご教示ありがとうございます。
ご指摘を踏まえて、本文に訂正を加えておきました。

昭和30年前後のこの種の雑誌の出版事情はかなり複雑なようですね。
誰か整理して、まとめてくれないかなぁ、と思っています。

今後ともよろしくお願いいたします。
(2011年11月27日 02時56分48秒)

2012年06月26日 末期の『あまとりあ』 [性社会史研究(性風俗雑誌)]

2012年06月26日 末期の『あまとりあ』

昨日、1950年代前半に刊行された「性科学」雑誌『あまとりあ』(1951年3月創刊、あまとりあ社)の末期の号を4冊入手した。
あまとりあ1954-12.JPG
↑ 『あまとりあ』昭和29年(1954)12月号(4巻12号)
あまとりあ1955-1.JPG
↑ 『あまとりあ』昭和30年(1955)1月号(5巻1号)

この頃は、和風趣味の表紙だった。
ところが、その後、表紙のデザインが一新される。
あまとリア1955-6.JPG
↑ 『あまとりあ』昭和30年(1955)6月号(5巻6号)
あまとりあ1955-7.JPG
↑ 『あまとりあ』昭和30年(1955)7月号(5巻7号)

題字が、創刊号以来の平仮名書き「あまとりあ」からアルファベット表記の「AMATORIA」になり、従来からあった「STUDIES IN SEXUAL CUSTOMS」という英語の書名?がより目立つようになった。

表紙デザインの変更は、2~5月号の間にあったはずだが、詳細な時期は把握できていない。

ところで、この7月号には下記のような「終刊宣言!」が綴じ込まれている。
あまとりあ1955-7-2.JPG
この手の性風俗雑誌は、予告なく「突然死」することが多いので、こうした終刊予告は珍しい。

で、予告された終刊「増大号」がこれ。
あまとりあ1955-8.JPG
↑ 『あまとりあ』昭和30年(1955)8月号(5巻8号)終刊

1月号が170頁(100円)、7月号が174頁(150円)だったのに対して、8月号は382頁(250円)と倍以上の厚さ。

終刊号に掲載されている「おなごり座談会 悪書?製造者大いに語る」によれば、『あまとりあ』の終刊は、経営問題ではなく(ずっと黒字)、当時、吹き荒れた「悪書追放運動」の標的にされたため(間接弾圧)だった。

巻末の「さようなら あまとりあ」には、当時の「性科学」分野の大家・著名28人から寄せられた「弔辞」が並ぶ。

戦後「性科学」雑誌の老舗らしい、堂々たる終焉だった。

※ 初期の『あまとりあ』については以前に紹介したので、興味のある方は下記をどうぞ。
2011年02月28日 初期の『あまとりあ』
http://zoku-tasogare-sei.blog.so-net.ne.jp/2012-09-19-9

2011年02月28日 初期の『あまとりあ』/「女性上位」 [性社会史研究(性風俗雑誌)]

2011年02月28日 初期の『あまとりあ』/「女性上位」

相変わらず傘を差す手が凍えそうな冷たい雨。

吉祥寺駅前の古本屋で、昭和20年代の代表的な性風俗科学誌『あまとりあ』(1951年3月~1955年8月、あまとりあ社)の初期(第1巻、1951年)のものがまとまって出ていたので、購入。

残念ながら創刊号はなかったが(後日、補充)、1巻2、4、5、6、9、10号(1951年4、6、7、8、10、11月号)の6冊。
ちと散財だったが、第2巻以降はよく見かけるが、第1巻はあまり見かけないので。
あまとりあ1951-3.JPG
↑ 『あまとりあ』1巻1号(1951年3月号)
あまとりあ1951-4.JPG
↑ 『あまとりあ』1巻2号(1951年4月号)

あれ? ちょっと変だぞ。
1巻7号~8号あたりにズレがある。増刊号が出ているのかも?

1巻1号 1951年3月号
1巻2号 1951年4月号 
1巻3号 1951年5月号 
1巻4号 1951年6月号 
1巻5号 1951年7月号 
1巻6号 1951年8月号 
1巻7号 
1巻8号 
1巻9号 1951年10月号  
1巻10号 1951年11月号 

『あまとりあ』195109.JPG
↑ 『あまとりあ』1巻8号(1951年9月号)

後で調べてみたら、1巻7号が「世界性愛文学選集」と題した8月臨時増刊号らしい。

ということで、『あまとりあ』第1巻の書誌は下記のようになる。
(◎ 購入所蔵  △ネットで存在確認)

1巻1号 1951年3月号     ◎ 世界情艶画集
1巻2号 1951年4月号     ◎ 秘戯画の断層
1巻3号 1951年5月号     ◎ 江戸艶本研究
1巻4号 1951年6月号     ◎ 衣服と肉体
1巻5号 1951年7月号     ◎ 男器・女器
1巻6号 1951年8月号     ◎ 女上位時代
1巻7号 1951年8月臨時増刊号 △ 世界性愛文学選集
1巻8号 1951年9月号     ◎ 万年新婚時代
1巻9号 1951年10月号     ◎ 性愛リズム合戦
1巻10号 1951年11月号     ◎ 理想の性への道
1巻11号 1951年12月号    (未確認)

1巻11号の存在がなぜか確認できないのが、ちょっと気がかりだが・・・。

あまとりあ1951-8.JPG
↑ 1巻6号の特集は「女上位時代」。
それにしても、戦後の性科学者って、なぜこうまで「女性上位」にこだわるのだろう?

前近代の日本人の性交体位は、俗に「四十八手」と言われるほど(実は48パターンはない ※)実に多様で、江戸時代の浮世絵(春画)を見ても「女性上位」なんて珍しくもない。

ところが、明治の近代化によって、キリスト教が入ってくると様相が変わってくる。
ご存じのように、キリスト教は対面男性上位の性交体位しか認めない。
対面男性上位だけが神が認めた正しい体位(正常位)で、女性上位を含む他の体位は大袈裟に言えば背教行為、少し和らげて言えば変態行為である。

明治の日本人(庶民)は、宣教師が説く「missionary position(宣教師スタイル)」を真に受けるほど愚かではなかったが、同じ日本人でもインテリほどキリスト教の性愛倫理に影響されたてしまう。

たぶん、それが戦後の性科学者の「女性上位」への変なこだわりにつながるのだろう。

※ 詳しくは『性的なことば』(講談社現代新書 2010年)の「四十八手」の項(執筆:順子)を参照されたい。

京王井の頭線で、渋谷に出て、バスで帰宅。

バスを降りたら、傘に当る雨の音が変。
霰になっていた。

『風俗奇譚』の書誌(まとめ) [性社会史研究(性風俗雑誌)]

2011年11月23日  『風俗奇譚』の書誌(まとめ)

1960年~1974年に刊行された「変態」性風俗総合雑誌『風俗奇譚』(刊行:文献資料刊行会、編集人:高倉一)の書誌研究に先週から取りかかっていたが、やっと一段落したので、「戦後性風俗雑誌の研究:その3」として下記のようにまとめた。

「『風俗奇譚』の書誌、および「臨時増刊」一覧」
http://zoku-tasogare-sei.blog.so-net.ne.jp/2012-09-19-4
「初期『風俗奇譚』の書誌」
http://zoku-tasogare-sei.blog.so-net.ne.jp/2012-09-19-5
「『画報 風俗奇譚』の書誌」
http://zoku-tasogare-sei.blog.so-net.ne.jp/2012-09-19-6
「『風俗奇譚』(月刊)の収集状況」
http://zoku-tasogare-sei.blog.so-net.ne.jp/2012-09-19-7

まだまだ、調査が行き届いていない部分もあるが、おおよその状況は判明した。

『風俗奇譚』月刊    176冊
『風俗奇譚』臨時増刊  40冊
『風俗奇譚』復刊      5冊
『画報 風俗奇譚』    19冊(17集+増刊2冊)
   計          240冊

後継誌『SMファンタジア』11冊

興味がお有りの方は、ご参照のうえ、ご教示いただけたら幸いに思う。


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